Charles2020のオナ禁ブログ

オナ禁をきっかけに人生を変えます

久しぶりの投稿【さっきオナニーしたばかり】

昨年の8月くらいに投稿してから、一度もログインもすることなく放置していました。

ざっと同志のブログを拝見いたしましたが、この半年間で皆さん色々なことにチャレンジされていたようです。

僕はというと、完全に『オナ猿』に戻ってしまいました。ウキッ

来る日も来る日も励んでいますよ、ええ・・・。

 

しかし、漫然と毎日を過ごしていたわけではなく、前回ブログを投稿した時期からある事に取り組んでいます。

オナ禁はダメダメですが、それは結果は出ていないながらも毎日続けることができています。

ただ、PCの前に居座る時間が圧倒的に増えたためか、オナニー頻度が大変なことになっています。

これでは、今頑張っていることにも影響しそうなので(すでに影響しているかもしれない)、オナ禁に取り組みたいと思います(せめてオナ減)。

 

ブログは気が向いたときに更新したいと思っています。

今どきお猿は1日5回♡ 朝・昼・3時・夜・深夜♡【オナ禁13日目】

https://www.youtube.com/watch?v=cZWP5V5bqXo

 

インターネットという文明の利器が普及し、誰でも、しかも無料で大量のポルノを閲覧できる時代になった。

少なくとも私の学生時代は、エロ本やDVDを友達と貸し借りすることで、“その日のオカズ”を入手することが多かった。

しかし、現在はそのようなことをしなくても、インターネットを介して欲望の赴くままに膨大な量のオカズを手に入れることができる。

その上、次から次へと新しい動画がアップされるため、オカズに飽きるということがなくなった。

時間さえあれば、タイトルの通りに1日5回オナニーに励んでいる“今どきのお猿”は少なからず存在するだろう(かく言う私もそうだった)。

今どきのお猿なんて表現したらいかにも可愛いく聞こえるが、実際はただのポルノ依存症の変態野郎である。

 

 

オナ猿からすると現在の環境は素晴らしいものだが、オナ禁を志す者たちにとっては非常に厄介な環境といえる。

PCだけでなく、今や誰もが持っている携帯電話からも簡単にポルノに触れることができてしまう。

やはりオナ禁を志すのであれば、徹底した環境づくりがかなり重要になってくるだろう。

後日、環境について考え、記事にまとめてみたいと思う。

習慣化することの難しさ【オナ禁12日目】

いい歳のオッサンになってようやく気が付いたけど、結局勉強ってどれだけ反復したかだよな。

そして、学んだことをアウトプットすること。

さらに、それを毎日継続すること。

世の中の天才はどうかしらんけど、特に俺みたいな低スペックの脳みそしか持ってない人間は、そういった行動が習慣化するまで愚直に続けるしかない。

細かく言えば、正しい方向性でってことも付け加えられるかもしれない。

このような当たり前のことを、今更気が付いた。

 

 

余談だけど、大学の時の友達の兄ちゃんが国立の医学部に進学してたんだけど、平日でも1日10時間くらい勉強していたらしい。

俺は絶対国立医学部に現役合格するって決めてたんだって。

何度か家に泊まりに行ったことがあるんだけど、受験勉強で使ったノートが押し入れの中に山のように積み重ねてあったのを覚えている。

1日だけ10時間じゃなくて、受験まで毎日10時間。

その人の中ではそれが当たり前だったのだろう。

そりゃ合格するよな・・・。

けれど、頭でわかっていても、なかなか実行できることじゃない。

日本のトップレベルの大学や国立の医学部に進学する人間って、脳のスペックが違うと勝手に決めつけていたけど、それなりの努力してるんだなってそのとき思った。

中には天才と呼ばれる人間もいるだろうけど。

 

 

話がそれた。

言葉にするのは簡単なんだけど、それらを1週間、2週間続けるんじゃなくて、毎日の習慣にまで昇華させて成功するまで続けるのって結構大変なんだよな。

例えばオナ禁

内容はすこぶる単純で、オナニーをしないだけ。

しかし、世の男性諸君、特にオナ猿と呼ばれるオナニー界のエリートにとっては、これがどれほどつらいことかご理解いただけるだろう。

ましてや、それを1週間、2週間続けるのではなく、半年、1年、猛者になるとオナニーフリーを目指して継続する。

年単位のレベルになると、習慣化しないと継続は無理よな。

オナ猿だった人が初挑戦で達成することはおそらく無理だから、達成までに何度もリセットを繰り返すと思う。

けれど、それは決して悪いことではない。

再挑戦すればいいだけの話。

ただし、同じ失敗を性懲りもなく繰り返すのはいかがなものだろうか。

1年前と同じ原因で失敗を繰り返している。

そんなんじゃ習慣化は無理だよ。

本気なんだったら、次から失敗しないように対応を考えないと。

 

 

自分への戒めパート3

深~いところで なめてやってるだろ【オナ禁11日目】

オナ禁だけじゃなくてなんでもそうだけど、決めたことを続けられないのは覚悟が足りないんだろうな。

他にも要因はあるかもしれんけど、現状に満足しちゃってる。

だから、しなくてもいいという甘えが出てきて続けられない。

オナ禁を続けられない人が「1年間オナ禁できたら100億円あげます。けれど、できなかったらお命頂戴しますね。」って言われたら、よっぽど死にたい人じゃなかったらオナ禁できると思う(覚悟とは少し違うかもしれんけど)。

例えでは報酬がすごいことになってるけど、要するにできるけどやらないだけ。

 

 

 

オナ禁は継続日数を競うものではないので、何回もリセットすることは悪いとは思わない。

逆に、めげずに何回も挑戦することは素晴らしいことだと思う。

けれど、毎度毎度同じパターンでリセットを繰り返すのはどうなの?

失敗を全然活かせてないじゃん。

本当にオナ禁継続したいのかわからんよな。

もしくはオナ禁頑張ります!って表面上は言っちゃってても、心の奥底ではオナ禁なんて意味がないという思いがあるんじゃないの?

 

特にオナ禁って誰かに強要されるものじゃないから余計だよな。

いつ始めても、勝手に諦めても誰にも咎められない。

期間もルールも、そして失敗したときの言い訳も全部自分で決められる。

ブログでオナ禁日数報告しているけど、いくらだって誤魔化せるし。

かと言って、本当に半年、1年、もしくはそれ以上続けても上記のような報酬があるわけでもない。

 

書いてて思ったけど、オナ禁って本当にストイックな行為だよな。

だからこそ、継続には覚悟ってものが必要になるんだろうな。

生半可な気持ちじゃオナ禁は到底続けられないよ。

少なくとも、同じパターンでリセットした自分を肯定しているあいだは。

 

 

もちろん、オナ禁だけが正しいとは決して思わない。

だってオナ禁してなくてもすごい人いっぱいいるから。

けれど、オナ禁を目的達成の手段とするのであれば、同じ失敗を繰り返しているようじゃ本当の結果は出ないと思うよ。

 

 

 

 

自分への戒めパート2

 

てか素を出すと口わりーな。俺。

オナ禁を継続できた理由【オナ禁日10目】

昨年の4月にオナ禁に取り組もうと思い立ち、そこから今月まで一度もオナニーをすることなく過ごすことができた。

オナ禁に取り組むまでは完全なオナ猿だったため、1週間もオナニーを我慢できなかった(それも修学旅行など特別な場合のみ)。

そんなオナ猿が、なぜオナ禁を継続できたのか。

その理由を自分なりに考えてみたい。

 

 

オナ禁に取り組むにあたって、まずはオナ禁に適した環境を作ることを徹底した。

オナ禁に不必要なものなど、考えられるものは全て排除した。

 

その中でも、エロ禁を徹底したことは大きかったのではないだろうか。

まずはPC内のエロフォルダを全削除した。

それは当時の私にとっては家宝同然であった。

その中には二度と手に入らないであろうデータもあったが、思い切って削除した。

二度と復旧できないように。

反動でしばらく激しい後悔に襲われたが、後の祭りである。

そして、必要以上にPCには触れないようにした。

今までPCに触れていた時間に、読書や後回しにしていた雑務に取り掛かるように意識した。

 

また、トイレや寝室にスマートフォンを持ち込まないようにした。

スマホを何となく弄ってからのエロ動画閲覧⇒オナニーはよくあるパターンだったので。

 

特に意識したのは上記の内容くらいだろうか。

規則正しい生活を送る、運動を取り入れるということも意識していたが、やはりエロ禁を徹底したことが一番影響が大きかったように思う。

 

 

思い返せば、よしオナニーするぞ!⇒閲覧⇒オナニーよりも、何となくPC・スマホを閲覧⇒オナニーという流れが圧倒的に多かった・・・。

この違いは大きいのではないだろうか。

前者を肯定するわけではないが、後者は目的意識ゼロだからだ。

オナニーですら、その場の流れに身をまかせてしまっている。

まさに思考停止。

こんな思考じゃ成功できねーよな。

そんな当たり前のことにも気が付かずに成功したいと思っていたのかと考えたらバカみたいだ。

オナ禁の定義【オナ禁8日目】

オナ禁を始めるにあたって、リセットの線引きをどこにするかということを決めなくてはなりません。

射精にも色々なパターンがあります。オナニーによる射精、セックスによる射精、夢精等々・・・。

オナ禁という単語の意味は、おそらく❝オナニーによる射精の禁止❞を指しているのだと思いますが、どのパターンであっても射精には莫大なエネルギーを消費します。

なので、ある目的の達成のために効率的にエネルギーを注ぎたいのであれば、射精自体を止めてしまうのが最適と考えています。

 

それではオナ禁と射精禁の違いは何なのでしょうか?

様々な意見があると思いますが、私は❝思考の違い❞であると考えています。

独りよがり、自己満足、これらの単語はオナニーに当てはまります。

言わば、そのような思考の過程の先に一時的な快楽があるオナニー。

それを繰り返すことにメリットはなさそうですよね。

思考は現実になりますので、そのような思考を具現化してしまうと大変なことになります。俗に言う、性犯罪の類ですね。

 

セックスに対する考え方も同じで、一方的なセックスはオナニーと同義と捉えています。

セックスにおいての感じ方というのは、男性と女性では違います。

どのような違いなのかということは、検索をかければ相当数ヒットするので、そちらを参考にするのがいいと思います。

 

では、夢精はどうなのか?

これは難しいですね・・・。私はオナ猿だったからか、夢精をしたことがありません。

なので、どのような状況で夢精をするか未経験であり、夢精に関しては言及することはできません。

しかし、非現実の事柄に対して射精している訳ですから、多少なりともオナニーと同様の思考になっているのではないかと推察しています。

 

 

上記より、私のオナ禁の定義は「基本的にオナニー、夢精による射精をリセットとする。セックスはパートナーの要求があった場合のみ。」とします。

理性と欲望の狭間【オナ禁7日目】

オナ禁にチャレンジした当初、どの程度継続すればオナニーフリーの状態になれるのだろうかと考えたことがある。

もちろん個人差があると思うが、450日程度継続して得られた感想を述べたいと思う。

 

私の場合、オナ禁継続日数が長くなっても、どす黒い塊のような欲望が常に己の中に潜んでいるのが感じられた。

その存在は大きく、油断するとすぐに顔を覗かせる。脳が覚えている“一時的な快楽という甘い誘惑の餌”をちらつかせながら。

ただし、感じ方には日格差があり、気にならない程度の日もあれば、強い衝動に駆られることもあった。

 

理性と欲望の狭間は、障子のようにとても脆弱な存在だった。

そちらへ目を向けると、障子越しであっても、うっすらとその姿を窺うことができてしまう。

障子を開けてしまうと最後、あっという間に欲望に飲み込まれてしまう。一時的な快楽に溺れ、残されるのは虚無感のみ。

 

常に自分を律していないと、隣り合わせの欲望に引き込まれそうになる。まるで、妖艶な女性に誘われるように。

それほど魅力的に感じてしまうほど、長年のオナニーにより私の脳は欲望に蝕まれていたのだろう。

人間の三大欲求の一つである性欲を消すことは、容易ではない。

そもそも、性欲を消すということは間違いなのかもしれない。

 

私にとって、オナニーは一つの習慣になっていた。

何となく携帯電話を弄る、何となくネットサーフィンをする等々、それらのような時間を浪費する行動の一種に過ぎなかった(そうなってしまったのは、目的を持つことなく人生を送ってきたことが原因なのだろう)。

オナ禁と同時に、期限を決めた目的を持ち行動することを決めた。そして、目的達成に必要のない時間を浪費する習慣を全て止めた。

もちろん、全てが上手くいくわけはなく、中には再度手を付けてしまった習慣もある。

しかし、それらもダラダラと継続するのではなく、見切りをつけて止めた。

そのように日々を過ごすことで、気がつけばゆうに1年が過ぎていた。もちろん、その時決めた目的も達成していた。

 

しかし、先日、とうとうリセットしてしまった。

原因は分かっている。ある程度目的を達成したことに満足し(慢心)、さらなる目的の設定を怠ったことが原因だ。

いくら継続日数が長くなっても、狭間は厚くなることはない。

必要なのは、目的を持ちそれに向かって行動することと、欲望に負けそうな自分を律する意志の力である。